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■ 夫婦の姓は日本では2022. 1.12

史実としてお答えします



氏は大和朝廷成立以前から、各地に居た血縁集団である豪族(大伴・紀・物部・蘇我・安倍等々)の名称として用いられていました



また名字(苗字)は姓(本姓)と違って、近代まで誰でも自由に名乗る事が出来ました。

家人も自分の住む土地を名字として名乗ったり、ある者は恩賞として主人から名字を賜ったりもしました。



江戸時代には幕府の政策で、武士、公家以外では名字を公式に名乗ることを禁止されました。

逆に言うと「禁止される」ということは、庶民の間で名字が普通にあったということに他なりません。



また、平民の中でも、庄屋や名主など特に許された旧家の者だけが名字を名乗ることを許されるようになりましたが、これをもって「江戸時代の庶民には名字が無かった」という具合に語られることがありますがこれも認識間違いですね。



庶民といえども血縁共同体としての家があり、それを表す名もあります。

また先祖が武家で後に平民になった場合に先祖伝来の名字が受け継がれる場合もありました。

ただそれを名字として公的な場で名乗ることはできなかった。そうした私称の名字は寺の過去帳や農村の古文書などで確認することができますし、また商人がしばしば屋号をそのような私称として使ったことも記録にあります。

魚や野菜などの食べ物、土地にちなんだ名字が多く見られるのもこのためで、「○○の人」と分かりやすくするため、用いられていたと言われています。



明治政府は、明治3年9月19日の平民苗字許可令、明治8年2月13日の平民苗字必称義務令により、国民はみな公的に名字を持つことになりました。この日にちなんで、2月13日は「名字の日」となっています。

夫婦の名字については、妻は夫の名字を名乗るのが慣例ではないかという伺いが多くの地方から寄せられましたが、明治9年3月17日に 太政官指令によって、妻は「所生ノ氏」つまり婚前の名字を改めないこととし、夫婦別姓とする決定がなされました。

これに対しては、庶民の生活実態に合わないなどの理由(社会生活上、嫁ぎ先の苗字を使うことがあった)で、明治政府の夫婦別氏政策に対しては、地方から疑問や批判が数多く出されました。

その後、民法典の編纂が始まりましたが、当時のヨーロッパ法を参考にし、夫婦単位で妻が夫の氏を名乗る夫婦同氏制が草案の段階で採用され、1890年に公布された旧民法において、妻が夫の家の氏を用いるとする夫婦同氏の制度とされました。

ところが、同氏とする旧民法案は、日本伝統の家父長制度を否定するものだとする反対論が多く施行されなかった。そこで、夫婦単位ではなく家単位とすることとして、1898年に民法が制定・公布されたという史実があります。



以上の事柄から、江戸以前の日本人の伝統は家族同氏であり、戦後の新民法により家督制度(家父長制度)は廃されたが、現在に至るまで民族の概念として〔家〕というものは厳然として残っており、その名称が氏だというのは社会的通念になっています



最後に日本の国では、氏や姓というのは、古来からずっと変わらずに家や一族の名称であったのは間違いありません。