【大阪のオバサン、おばちゃん】改めて認識した、言葉の持つ威力

”オバサン”、と見ず知らずの女性を呼ぶのは、失礼ではないでしょうか。
読んでいて、違和感を覚えます。という意見が、メールで窓辺の風景のブログに寄せられた。

この意見は、確かに尤もだとは思った。けど、メールを読みながら私は、腹が立ってしょうがなかった。

意見としては尊重しつつも、ショックで、即座にブログを辞めようと思った。
が、ここは説明をすべきではないかと思い、記事にすることにした。

この記事が果たして、届くかどうかは分からないけど、自分の考えを整理する意味でも書くべきだと思った。

オバサンといえば、『 大阪のおばちゃん 』がすっかり定着している。
これが全国に広まったのは、お笑い芸人とテレビの影響が大きいと思う。

私が若いころは、
今のように、オバサン、オジサン、おばちゃん、おっちゃんを誇張されて言われることはなかった。

限定された、極狭い、ディープな大阪で通用する呼称だった。

大阪では、”オバサン”と、中高年の女性を、親しみを込めて呼ぶ。
それが他の地域では、どうも蔑称として受け止められるようだ。

私は、ブログを書くときは大阪弁で考えて書いている。
ところどころに、ディープな大阪弁を挟むことがある。

ところが、ブログを読む人は、大阪だけではない。

窓辺の風景は、ブログランキングに参加していることもある、ずいぶんとたくさんの方々に読んでもらえる。
きっと広い地域の方々がブログを訪問してくださっていると思う。

テレビの街頭インタビューなどに登場する大阪のおばちゃん。
オバサンではなく、おばちゃん。

このおばちゃんには、オバサンよりも、もっと庶民的な中高年の女性に使う言葉。
オバサンは、その中高年のおばちゃんに、若干、キリリとしたエッセンスを加味した女性だろうか。

おばちゃんたちは、周囲のことなんかどこ吹く風とばかりド派手なファッションに身を包み、
言いたいことをズバズバと言う。
ズバズバと、キリリでは少しニュアンスが違うのです。

そして、言いたいことを言ってしまうと、
テレビ局スタッフの思惑など考えもせずに、さっさと立ち去る。

まあ、こんなイメージだろうか。

そんなオバサンのあるエピソードを書きたいと思います。

それは、『 大阪のおばちゃんと飴 』
おばちゃんは、必ず、飴をバッグに偲ばせている、というあのジンクスです。

街頭インタビューなんかに登場するおばさんは、ちょっと誇張されてるなぁ、
と思っているわたしでも、飴とおばちゃんは本当です。

娘が高校生の頃、電車内でひどく咳き込んでしまった。
恥ずかしさと苦しさでパニックになった娘に、そのとき神が舞い降りた。

立つ娘の前の座席に座っていたおばちゃん軍団が、
咳き込む娘を抱え、自分たちの座席を詰めると、そこに座らせてくれた。

(決して誰か一人でもが、席を立つわけではない。あくまで席を詰める。)

娘の話を聞きながら、こんなところも、おばちゃんらしいなっと感心する。

そして、咳に効く三種の神器、飴玉を、はよ口に入れなさいと、娘の手に握らせる。

それからおばちゃん軍団の一人が背中を撫でてくれた。
それらを、帰宅した娘から聞いた。

おばちゃん、オバサンと呼ばれる人たちは、得てしてお節介。
けれど、そのお節介には愛がある。

いうなら、おせっかいは、おせっか愛なのだ。
このおばさんのおせっか愛は、世界中のオバサンに共通している、と思っている。

地球上にオバサンのおせっか愛が充満している限り、わたしたち人間は大丈夫!
上段に構えて平和論をぶち、その陰では兵器を売り、隙あらば領土を奪おうとする世界。

この危うい地球を保っているのは、何を隠そう、オバサンのおせっか愛があるからだ。

わたしはそう思っている。

大阪と言っても、京阪神間は少し事情が異なる。
オバサンおばちゃんと、中高年の女性を親しみを込めて呼ぶのは、
大阪南部だと思う。

どうか、方言を分かってください。
決して蔑視ではありません。

この世に、生まれてきた意味を考える

17歳の夏休みだった。
通学の電車に乗っていて、何の脈絡もなく、自分がこの世から消えるという現実が、私の頭を支配した。

恐怖に体が震えた。
人はいつか必ず死ぬと、理屈では分かっていても、それは自分に関係のない、はるか遠くにいる存在だったのに。

通学の満員電車の吊り革をきつく握りしめ、気が遠くなる感覚を必死で堪えた。

ちょうど、宇宙の果てや終わりを想像すると気が狂いそうになるような、あの感覚が波のように、押し寄せてくる。

このまま時間が止まってしまうのではないかと思えるころ、ようやく高校がある駅に着いた。
冷や汗を拭いながら、改札口を出た。そのまま公園のベンチまでよろよろと歩いていく。座った瞬間に、ようやく息が吐けた。

空は青く、どこまでも澄んでいる。
夏の空には綿帽子のような雲が、もっこりと浮かび、それなりに美しい模様を見せている。

こんなふうな当たり前に過ぎてゆくときの中で、私の命は消えてしまうのかと、パニックで冷たくなった体を両手で抱きかかえ、不安に押し潰されそうな心と闘っていた。
そうしながら、私はその感情が去るのを待っていた。

3月というのに、雪が降っていた、そんな寒い朝に、わたしは生まれた。
名残雪が降る季節ではあるけれども、暦上では春になる。

4姉妹の次女として、この世に生を受けたわたしは、長女と私の間には5年も年月が離れている。
そのせいでもないだろうけれど、わたしは生まれる前からなんとなく、
親戚中、父にも次は男の子が生まれると、思われていたらしい。

夜半から痛み出した母の子宮は、産道がなかなか開かず、お産は二度目にしては重いものだった。

長い時間をかけて、わたしがこの世に出てきたのは早朝3時。

春はあけぼの、と言いたいが、春にしてはとんでもなく荒れた初冬のような寒さのなか、
母は、わたしをこの世に送り出してくれた。

男子誕生を心待ちしていた父の落胆は、傍目にも気の毒なくらいだったと、
中学校のころに叔母から聞かされたことがある。

その後も続けて母は女の子ばかりを産んだ。父は、さすがに観念して姉に愛を一身に注ぐようになっていった。物心つくころから、私は親に振り向いてほしいと願い大きくなっていく。

決して、親が私に愛を注がなかったわけではないのに、常に欲する自分。

この世に生まれてきたからには、自分だって生きる価値があるのだと思えるようになったのは、わが子をこの世に送り出したことによってだった。

私のような、自分が自分がと幼稚性の抜けない人間は、子を成すことによって、大人になれるのかもしれない。

十五の私に、逢えた気がした

お盆迎えも終わり、今日は、ずっとほったらかしだった物置を片付けようと、重い腰をあげた。
しーんと静まり返った物置は、ひやっとしていて寒いくらいだった。

超大型台風が来ているからだろうか。

暗闇に目が慣れるまで、少し時間が流れていく。

目的は、もちろん、年齢に応じた断捨離。
背負うものを少しずつ軽くしていこうと、最近、考えるようになってきた。

私は悪い癖をもっていて、何か整理しようとすると、つい、そのモノに見入ってしまう。
だから、今日は、何物にも目をとめないぞぉ!と決心し、たつもりだったのに・・・・・・。

真っ先に目に飛び込んだのは、ちぎり絵の切り抜きをランダムに張った段ボールの箱。
そこには、昔昔の、懐かしい日々に夢中で読んだ本が入っていた。
趣味のない私の、唯一好きな本が、仕舞われていた。

とっくに図書館にもらってもらったと思っていたのに。
懐かしくて、一冊ずつ手に取って、のんびりと納屋で読書してしまう。
気がついたときは、もう11時。

朝ごはんも食べないでかかりっきだった、どおりで、お腹が空いたと思うはずだ。
本の中にひときわカビっぽい匂いのする本は、中学生のころの本だった。

『不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心』

啄木は空を見ながら、こんな歌を詠んだ。
15歳のあのころの私も、空を見上げるのが好きだったけど、何かに無性に腹をたてていた。

これからの進路のこと、ダウン症の妹のことなどなど。
私の心の重いモノを空に吸い上げてほしいと、そんなことを思っていた。

今、私は15歳の自分に逢えたら、何を言ってあげられるのだろう。

泣きたくなると空を見る。
そしたら、涙は途中で止まってくれる。
そんな経験も、啄木の歌で知ったのだった。

懐かしい15歳の自分に、少しだけ逢えた気がして、なんだか切なくなってしまう。

ふと上を見上げると突きぬけるような青空に白い雲が浮かんでいた、思い出されるあの頃……。

「十五の心」と止めているが作者自身が今、十五歳ではない。
不思議な印象をうけてしまう表現で書かれているこの短歌。
実は回想であると知った時は何とも表現しにくい気持ちになる。

15歳頃の純真でまっすぐな思いが、心からなつかしく思われる。
あの時に戻ることはもう叶わないけど、
せめて心だけでも戻ってればと、そうやって作者は大空を見上げていたのかもしれない。